介護疲れ/「孤立」させない支援網を
介護疲れからくる事件が後を絶たない。老老介護といわれて久しいが、何の具体的な対策を打てずときばかりが過ぎている気がする。
最近では、老夫婦間の介護のほかに、親子の関係で事件が起きている。とくに息子が母の面倒をみるために、会社も退職するしかなく、収入が断たれ介護生活に困り、疲れ果て、事件に至っているケースが見られます。
事件に至らなくても、かなりぎりぎりの人は多くいることも忘れてはならない事実と思う。
( 2006/09/26 神戸新聞)
高齢者の介護で、殺人事件にまで至る例が相次いでいる。虐待で死なせる身勝手なケースもあれば、同情を禁じ得ない例などさまざまだが、そこには、孤立からくる「介護疲れ」が共通して横たわる。
制度からこぼれた特殊な事例では済まされない事態といっていい。
2008年二月、八十六歳になる認知症の母を五十四歳の長男が殺害した京都の事件は大きな波紋を広げた。長男は会社を退職してまで母の介護に当たったが、生活困窮で心中を図り、死に切れずに逮捕された。
長男は行政窓口に何度か相談に訪れていたが、適切な助言や指導がなかったことが問題となった。今夏、京都地裁が懲役二年六月、執行猶予付きという「温情判決」を出した際、裁判長は行政の対応や制度のあり方に異例の苦言を呈した。
このほか、配偶者の介護に疲れた高齢者が引き起こす事件も各地で頻発している。今春、神戸の男性(89)が難病の妻(85)を殺した事件も介護のストレスが原因だった。「老老介護」の末に起きた悲劇である。
保険制度の創設で、介護負担を支える骨格ができたのは確かだ。しかし、介護保険や生活保護制度が、結果的に事件を防げなかった事実は重い。安全網にほころびがあるといわざるを得ない。
家族の面倒をみる当事者は介護に追われて、閉じこもりがちになりやすい。地域の中で孤立し、他人に助けを求めることに躊(ちゅう)躇(ちょ)することも多い。京都の例のように、SOSを発しても受ける側の対応が不十分なら、救えるものも救えないことになる。
厚生労働省の調査では、高齢者介護にあたる家族の四人に一人は「うつ」に近い状態という。深刻な数字だ。こうした実態が介護疲れによる事件の背景にある。
最悪の結果を招かないために、社会はどうすればいいか。厚労省は、高齢者の孤独死や心中、介護殺人をなくす対策づくりのため来年度、予算要求することを決めた。防止ネットワークの研究費に充てる。
こうした研究も大切だが、現制度の中でも、血の通った応対や踏みこんだケアがあれば、避けられたケースがあるはずだ。やれることから早急に取り組むべきだ。
高齢社会の進行で、老老介護は増える一方だ。介護疲れの支えとなるのが、行政や介護サービスだけでは限界もある。地域社会の問題として、新たな悲劇を生まない支援のネットワークを築く必要がある。
介護の問題は「いずれ自分の身に」と考えることが大事だ。高齢者保健福祉月間である今月を、その第一歩にしたい。
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